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医療現場は今こそ声を!

1:東京医大「再生委員会」の委員構成
「再生委員会」は外部委員で構成され、形の上では第三者機関の体をなしている。
その長である高久史麿氏(自治医大学長・日本医学会長)が、東京・大阪地裁の「イレッサ」和解勧告に対し、日本医学会長の立場で厚労省と結託し勧告を反故しようとした、と報道された。我々に真偽は確認できないが、問題はそのような渦中にある人物が再生委員会長として何をどう纏めるか、と言う点。更に情報誌「選択」に因れば、彼の子弟は東京医大出身で、東京医大は彼を委員長にして謂わば「人質作戦」を執ったと言う。
東京医大の現場の意見を吸い上げて来月提出予定の報告書に的確に反映できるのか・・・いささか懸念を抱かざるを得ない。
2:現場は今が正念場

だからこそ、医療現場に携わる人達は今が正念場ではないだろうか。
現場が抱えている問題点、日頃感じている疑問点を再生委員会に強い姿勢で提示して行かなければ好機を逸する。マスコミが注目している今を置いてない。医療現場に「再生委員会活動で一体何が変わると言うのか?」「どうせ・・・」という諦めがあるとすれば自ら環境改善を放棄したに等しい。
3:うつ病に悩まされる勤務医たち

或る医療情報機関が報じたアンケート調査(1000人)によれば、うつ病で離脱する勤務医が続出している、と云う。「医者の不養生」どころではない。そのような医師に診てもらう患者は堪ったものでない。うつ病の発生要因として様々な医療環境の厳しさが指摘されている。そうであるなら医療現場から声を上げなければその環境は変えられない。東京医大関係者は今回の「再生委員会」活動を是非最大限利用して欲しい。
4:被害者遺族が見る目

事故が起きると「ミスは無かった」「合併症だ」と逃げ回る。事故を起こした医師は隅で小さくなり、上司が「どうせ被害者遺族に真相が分かる筈が無い」と決めてかかり、被害者遺族をねじ伏せようとする。医療界の陋習と言って良い。
「36時間勤務で注意力が緩慢だった」「手術スタッフが不足していたが、やらされた」「訓練だからと技量不足の医師に替えさせられた」「手術実績を上げろと言われ、不必要な手術までやらされた」といった類の実情を隠し「現場に何も問題は無かった」「全力を上げてやった」で済まそうとする。中には「あいつの手術はいずれ墓穴を掘る。それまで放っておけ。」と周囲の心配を無視した上司がいたと聞く。
病院がそう言う態度を取り続ける限り「現場は何も困ってない」「何も問題ない」という事になって「医療現場の改善は必要無い」と言う事になりかねない。
しかし、臭いものに蓋をする旧態依然としたやり方は、もう今のメディア社会では通用しない。ネット情報流出の是非はともかく、内部情報は簡単に漏れる。
5:被害者遺族は支援を厭わない

現場は今、声を上げなければ自ら医療現場改善を放棄することになる。あなた達に強い決意があるなら被害者遺族として支援を厭わない。 <男性会員>

管理者便り(発足して3カ月)

「東京医大被害者遺族ネット」のブログを立ち上げて間もなく3カ月になります。
お陰様でアクセス数も会員登録も順調に伸びております。会員、非会員の如何に関わらず多くの方々からご投稿、ご意見を頂いていますが、特に非会員(一般)の方々からは大変建設的なご意見と激励を頂き、ここに改めて感謝申し上げます。
中には「もっと強力な意見を発信すべき」「マスメディアでは未だ発信し難いが実は院内で・・・」「東京医大の者(実名)だが私の気持ちを代弁して貰ってありがたい」と言ったご意見や情報もあり、この病院が抱えている病巣の深さを改めて感じます。
未だ公開できない事項も多々ありますが、機会を見て掲載して参ります。
 (管理者)

先人の教えを伝えたい(産経新聞より)

下段のSさんがコメントされている「医師のあるべき姿」と共通すると思われる内容を
産経新聞・論説委員の木村良一氏がお二人の医師を偲んで書いておられます。
併せて紹介させて頂きます。下行の「一筆多論」をクリックしてください。

産経新聞(平成23年2月21日「一筆多論」)

Sさん(非会員)からコメントを頂きました

このブログを読まれたSさん(非会員)からご投稿頂きました。この場を借りでお礼申し上げます。
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「東京医大被害者遺族ネット」を読ませていただきました。
私も軽い手術を別の大学病院で受けた経験からコメントを申し上げたいと思います。
1.「人間にミスはある」

 医者自身は ミスの無い様に努力もされていることかと思いますし、患者側も一般論ですが 「ミスの可能性」を一応考慮している事でしょう。 その上で医者も患者も お互いの信頼関係の上で手術は成り立つものと私の経験からそう思ってます。
2.「誠意あるべし」

 東京医大については これまで幾例も医療ミスが報道されていますが 恐らく氷山の一角だと思いますし この病院の体質だと推測できます。
企業に社風があるように 病院にも風土もあるのは組織ですから当然ですが、病院の風土は我々患者側もよくよく感じるものです。
20年ぐらい前に私も東京医大の新宿に1度通ったことがありますが 病院内の雰囲気等に違和感があり その後通った別の大学病院の方が 気持ち良いものでした。
そのポイントは 医療への姿勢です。
 医療は 相手(患者)に満足して頂くという まさに 謙虚さにより より良い医療が行われ 発展するものと確信しています。
 私が仕事を通して学んだことは「顧客満足」という概念でして それは 高慢な気持ちからは生まれません。医療も相手(患者)が求めるものに、満足に答えられてこそ良い医療になるものでしょう。
3.「医者の前に人間であること」

裁判に至る結果になったのは医師 病院の恥ですし 評判も悪化します。 そのようになったのは医療側に誠実な姿勢が欠けたこと 及び弁護士の方針等が主な理由ではないでしょうか。
医者は「医者の前に人間であること」を忘れないことが肝要です。自分の人生を歩み 「人としての恥」 を忘れないで欲しいものです。
「ミスはミスとして認め 誠意ある謝罪をして」 そこから 初めて医者と患者側との話し合いが始まるものでしょう。
4.「医師個人の人生とは?」

医師の所属する病院は所詮法人ですから 経営者は交代しますし 直接の当事者ではないので この裁判の処理は単純に言えば彼らには所詮「仕事」です。病院たる法人は「個人たる医師の人生」は考慮してません。
従って 医師は「裁判沙汰になった事」は一生 心の何処かに残り 晴れ晴れした気にもなれず あげくの果ては 慣れてしまい 「保身」にのみに走り 人間であること 人の親であることの誇りも無い汚れた人生になるのではないでしょうか?
折角の人生がそれで良いものか 全ての医師は考えるべきです。
医師は 単に手術のみで病気を治すのではなく 真心で患者に応ずることで 完治すること 即ち「医は仁術」こそ 勤めであると認識することを切に願う限りです。
Sさん(非会員)より

東京医大の皆さん、自分の家族ならどうしますか?


「遺族の想い」(2月17日掲載)を読んで寄せられた別の東京医大被害者遺族からの寄稿です。


「遺族の想い」(ご遺族兄妹の投稿)を読ませて頂き、遺族のひとりとして改めて東京医大に対する怒りがこみ上げてきました。

もし自分の家族の手術だったら、医師であるあなたは自信を持って執刀できるのですか? 術後の経過観察を若手の駆けだし医師に任せられますか?
「一過性の赤の他人だからまあ〜いいか。一応やってみるか。」では済まされないのです。命を預かる側に屁理屈や言い訳の存在する余地など有ってはならないのです。

これは別に医師だけの問題ではありません。手術や治療の現場に携わるスタッフの方々や病院事務職の方にも共通の話なのです。
あなたの家族ならその医師に手術を任せられますか?自分が勤務している病院に全幅の信頼を置いて身内の手術を任せられますか?
「まあ〜自分に関わる患者じゃないから黙って見過ごそう。私の立場で執刀医や上司に余計な事を言ったところで嫌われては何の得もないし・・・」
東京医大病院にはそのような気運が蔓延していませんか?

医療従事者の皆さんは毎日のように人間の死に接し、感受性が無機質になっていませんか?患者はベルトコンベアーで流れてくる「物」ではありません。あなた達と同じように家族もあるし、その人には掛け替えのない人生があるのです。東京医大は医学生にどのような教育をしているのでしょう?「ヒポクラテスの誓い」は何処に行ったのですか?

今以て事故を繰り返す東京医大病院に自己改革を望むなど所詮無理なのかもしれません。
東京医大被害者遺族

遺族の思い

年を重ねると悲しみは和らぐかもしれないと思っていましたが、医療により暴力的な死を受けた遺族の思いは、当時のまま変わることがありません。
生きていたら、こうだったろうな、と日々考えるものです。
そんな気持ちを共有する遺族の方から言葉を寄せていただきました。

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父は手術の日を待ちわびて、完全に信用して手術室に入った。
それだけに、連続した失敗を改善する事なく手術に臨まれたのは余計に悔しい。
父がどんな思いで術後の日々を過したか、最後まで『いつかは』って信じていたと思う。

今でも怒りと悔しさは薄れない。

自分が父の年齢に近づくにつれて増すのかもしれない。
関係者の方々は、もし自分が、自分の家族が同じ状況に置かれたらどうだったのか、安心して任せられたか、このような結果になったらどんな思いをするか、全て自分、自分の家族、に置き換えて考え、行動して行ってほしい。          ( 長男 )
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今月は父が亡くなった月。
今から七年前、東京医大で心臓弁の手術を受け、一ヶ月後に亡くなってしまった。
術前には、口から食べ、歩く事もできた父なのになぜ?
家族の誰一人考えてもいなかった術後の経過だった。

術前の検査でも問題がなく、手術の説明でも心臓手術の中でも簡単な手術と聞かされていた。大きな大学病院というのも安心の一つだった。手術を受ければもっと元気になる、そう信じて父を手術室へ見送った。ところが手術が長引き始めてから安心は不安に変わっていった。術中の説明によると、父の臓器がとてももろく針がかからない、出血が止まらないという事だった。全ては父の体のせい。そんな説明だった。数日後に心停止。それから意識は戻ったものの、寝たきりになり日が経つにつれて弱っていく父。
そして手術から一ヶ月後に亡くなってしまった。
私達家族は病院側の父の体のせいという事を確かめる術もなく釈然としないまま受け入れるしかなかった。

それから数ヶ月後の5月の父の日。
読売新聞社の記者が訪れ医療ミスの可能性を知ったのだ。
ある執刀医がした手術で術後亡くなっている人が続いていること。
医療ミス・・・まさかという思いよりも、やっぱりという気持ちだった。
このままではいけない。父からのそんなメッセージにも思えた。
私達家族は病院と向き合うことにしていったのだ。

あれから7年、東京医大は安心して医療を受けられる病院に変わりつつあるのだろうか・・・
病院の方々に伺いたい。今、もしご自身、家族が手術をするとなったら東京医大で執刀医を選ぶことなく安心して手術を受けられるだろうか。不安や不満があった時いいたい事を遠慮なく医師に伝えられるのだろうか。密室の手術室内の事をただ伝えられるままに信じることができるのだろうか。東京医大被害者遺族ネットという繋がりができてしまう現状を思うと、大事な家族の命が関わっている遺族としては本当に残念でならない。
これからも、東京医大の動向に注目していきたい。        ( 長女 ) 

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