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今年一年を振り返る

このブログを立ち上げて一年余りが経過しました。(平成22年12月開始)
有効アクセス数(多重アクセスを除外)は日増しに増加し、下半期の日々のアクセス数は上半期の約2倍に達しました。皆さんの医療安全に対する関心の高さを感じております。
マスコミが或る記事を掲載したところ、こちらへのアクセス数が突然4〜5倍に跳ねあがる日もありましたが、そうした諸々のデータを分析しながら、今後も医療安全推進活動を続けて参ります。今年一年間の皆さんのご高覧に感謝致します。

東京医大病院は本当に再生できるのだろうか? (その3)

地裁(原告勝訴)→高裁(被告敗訴)→2010年7月7日最高裁で東京医大上訴棄却決定となり、ようやく高裁判決が確定しました。

裁判が終了し約1年半、尊い命が奪われて約7年になろうとしておりますが、同じ東京医大被害者の方々とお会いする度、私が裁判に勝訴したところで東京医大は反省すらしていないことを感じます。

医療事故(過誤)を防ぐためには、 医者達に、敗訴した原因が裁判でどのような内容で、治療がどのようなものだったのか 真実を知らせることが必要です。
反省が無い限り何時まで経っても私の様な医療過誤が減ることはありません。
私は今でも東京医大に夫を行かせてしまった自分の責任を感じており、この事から一生逃れることができません。

そんな折、2011.12.09日寄稿 「アナクロ医療弁護士」の中に、或る弁護士の講演の記事を目にしました。その講演は私の最高裁棄却の翌月に開催されたものです。
http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-date-20111209.html


その講演は"J法律事務所のM弁護士"が2010年7月7日最高裁で東京医大上訴棄却(東京医大敗訴確定)した僅か1カ月後の8月22日に盛岡で

「医療紛争の現状と対策〜医師の身を守るための工夫〜」 
「クレーム患者への対応〜患者が真に求めるものとは」

と題するものでした。

「医師の身を守るための工夫〜」ねぇ〜。
"看護記録改ざん"やら"証人尋問の偽証"の手解きですか。

J法律事務所・M弁護士へ

私は今まで沈黙しておりましたが、当然前文を読まれ、どの事件の被害者かお分かりですね。こんな講演をまだ続けていたのですか? 図々しいを超えています、人間の心をお持ちですか?
今後もこの様な講演・講義を続けるなら、私"復讐の鬼"に戻ってしまうかも知れませんよ。
人を憎み続けることにはパワーを要しますが、幸い体力気力とも貴方の薄汚い法廷手法により 鍛えられたため持ち合わせております。

貴方には反省の欠片も無いため、このサイトに、貴方の法廷手法と裁判過程を投稿で暴露し、微力ですが医療裁判をされている方のお役に立つことがあればと思いつきました。
投稿する題材は貴方より沢山いただいているため数回のシリーズ化にしないと終わらないですね。

この様なことを書き込むと貴方は脅しだと怒っていますね、
私の裁判の場合、貴方は裁判所の和解提案拒否し、理由も無いのに貴方が強く望んだ判決の結果 でしたので、私の文に嘘は無いことは貴方が一番ご存知な筈。

東京医大病院の皆さんへ

誤解の無いよう先にお知らせ致します、
私は裁判で、がん手術入院する前の治療経緯で提訴しました。
従って、証人尋問の医師3人はがん手術入院前の治療時期の担当医達で、手術入院後の担当医とは別の医者達です。

不幸にして医療過誤に遭った患者および遺族として一番知りたいことは「真実」です。

・この様な詭弁で負けた弁護士の講演または講義
・医師証人尋問の偽証指示

医師はこうした事(↑)に耳を傾けず、真の医療のあり方をお考えいただけることを願っております。
勝訴した原告遺族・女性会員

その頃、東京医大で何が起きていたか!?

12月23日掲載「この病院は本当に再生できるのだろうか? (その2)」の医療ミスが起きていた頃、新聞各紙は連続して東京医大病院問題を取り上げ、同大病院は信用を失いました。
信用は一夜で失墜しますが、それを取り戻すのに10年掛かると言われます。
まもなく2011年が終わろうとしていますが、未だにその兆しが見えません。


当時の新聞から(抜粋、転載)

2003年4月19日
<医療ミス>東京医大の誤注射認め賠償命令 東京地裁(毎日新聞)
2003年10月2日
遺伝子治療の患者が死亡=因果関係は否定−東京医科大(時事通信)
2003年11月11日
<医療ミス>カテーテル挿入ミスで脳死状態に 東京医大病院(産経新聞)
2003年11月11日
<医療ミス>東京医大「不可抗力」と主張 院長は5分間会見(各紙)
2003年11月20日〜
東京医大病院でまた医療ミス、耳の手術で左右間違える(産経、読売新聞)
検査後に容体急変、死亡 東京医大病院で男性患者(共同通信)
東京医大、1日2回の事故会見…70代男性「異状死」(読売新聞)
2003年12月5日
検査針で心臓に穴=医療ミスの疑い強まる−東京医大病院事故(時事通信)
2004年2月3日
<医療ミス>カテーテル挿入で動脈損傷 東京医科大病院 (毎日新聞)
2004年2月9日
相次ぐ医療事故で厚労省、東京医大からヒアリング  (共同通信)
2004年3月29日
厚労省、東京医大病院に安全教育の徹底などを指導  (共同通信)
2004年5月24日
<東京医大病院>元内科医を書類送検 心臓に針、患者死亡(毎日新聞)
2004年12月11日
<東京医大病院>心臓弁膜症患者4人が術後相次いで死亡(読売新聞)

*「東京医大病院は本当に再生できるのだろうか? (その3)」は次回掲載予定です。

東京医大病院は本当に再生できるのだろうか? (その2)

私は「東京医大病院は本当に再生できるのだろうか?」(その1)を今年2月2日に投稿した者です。
http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-date-20110202.html

このブログが東京医大関係者の多くの方々に読まれていることを知り、再び投稿することにしました。

(1)亡くなった夫の心中

亡くなった夫は当初から医療過誤に気付いていました。
しかし、先ず‘生きること’を優先せざるを得ず、転院もままならずに東京医大病院で治療を続けました。
自身の余命の恐怖と闘いながらも東京医大に質問したい気持ちを抑え、治療を優先した本人の心中を東京医大の皆さんは理解できるでしょうか?

この間「何故、進行ガンなんだ!---誤診だ!」と申しておりました。
「自分が死んだ時は必ず裁判で明らかにして欲しい」と私に託し、また「裁判の争点を誤るな、誤ると負けるぞ。」と指示し、自分の裁判準備までして他界するに至った本人の心中はどんなものだったかお分かりになりますか?
これが私の裁判に踏み切った背景と動機なのです。
果たして東京医大関係者やあのM顧問弁護士に私たちの気持ちが分かるでしょうか?

(2)残された遺族の心境と行動

私は医療裁判とは無縁な生活をしており、背負いきれない頼まれ事で悩み迷う日々が続きました。

そして"本人の無念"と"私の今後の生き方"を考えた末に・・・

 ?東京医大より治療経緯説明を拒絶されたため、本当の事が知りたい。
 ?裁判をしなかった場合、きっと後悔するだろう。

との結論に至り、勝訴する保証も無い医療裁判に私一人で挑むことになりました。

(3)裁判で明らかになった事

 ?M顧問弁護士の創作(嘘と言った方が正解)
 ?診察医3名の証人尋問での口裏合わせ(偽証)
 ?明らかに不自然な看護記録の修正テープの改ざん
 ・・・・他にも未だ沢山ありました。

(4)法廷に於けるM顧問弁護士の態度
 
 ?私(女)一人など簡単に潰せるといった態度で法廷で
  「やったぞ!」と言いたげなガッツポーズ(空しい結果になったが)
 ?「医療過誤を疑っているのなら他の病院へ転院するのが普通」 と
   言い放つ悪態ぶり
 ?答弁書には「痔の場合、更に疑って精査する義務はない。」とまで
  言い放つ態度
  (真実は医師が直腸ガンを痔と誤診し、早期治療の機会を失う)
 ?悪乗りすると声を裏返しまくり、冷静さを欠くM弁護士

(5)東京医大関係者の汚い手口
 
 ?東京医大関係者で且つ裁判を傍聴していなければ書けない内容を
  ”2ちゃんねる”に書きまくり、仲間で盛り上がる醜態ぶり
 ?その内容は亡くなった者を馬鹿扱いし、遺族を金目当てのモンスタ
  と嘲笑し合う様。

 尊い命を奪った上に、このような遺族攻撃の連続でした。
 私は精神的に疲れた上に、地裁判決以降、新聞記者等からの執拗な
 記事掲載許可申出を受けたため、当方の弁護士を通じ、全て断り
 続けました。
 地裁以降(高裁、最高裁)の情報は当事者と傍聴した者だけが知る
 ことになりました。

こうして私は、これらの経緯により最初の「本当の事を知りたい」から
何時しか全てを掛け「復讐してやる」に変わり「復讐の鬼」と化すに
至りました。(勝訴した原告遺族・女性会員

〜次回へ続く〜 

この9年間を振り返って (シリーズ30・最終回)

当サイトに寄稿して頂いた「もとくんのお父さん」の「シリーズ30・最終回」(下記↓黒字文 )です。
この事件は東京医大病院で起きた医療事故ではありませんが、道徳心にも技量にも欠ける医師を雇い続ける病院、それを認容する所管庁や医療界の甘さは医療事故を助長する原因につながり、これは一人の不良医師の問題でなく医療界全体の問題として捉えるべきではないでしょうか。

今回を以って当シリーズは終了しますが、この8ヶ月間、多くの方からアクセス頂き誠にありがとうございました。尚、本件は全て原文のまま掲載させて頂きました。


「もとくんのお父さん」のホームページ
http://www.geocities.jp/mhr3129/


<参照>

http://www.femalelife.jp/a_call_at_gynecology/call_09.html

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1231282667

http://lifestyle-net.com/myroom/menu/monthly/2002_he_06/06.html

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「この9年間を振り返って」


9年前の2003年1月29日、妻は福岡市西区にあった「医療法人愛育会」の渡辺産婦人科クリニック姪浜において、出産時の医療事故で命を失った。 
私は事故の真相が知りたくて、当時の理事長でもあり、また事故に直接関与した院長の渡邉忠義医師を相手に医療過誤訴訟を起こした。 そして、2007年12月と2008年3月、医療法人と渡邉理事長共に有責の判決が下り、我々の完全勝訴で決着がついた。 

しかし、被告は自ら謝罪もせず、裁判所の損害賠償金支払い命令をも無視し続け、ついには我々の前から姿を消した。 そして判決から3年後の2011年6月、私はようやく被告の居場所と勤務先を探し出したが、被告は相変わらず反省も謝罪もしなかったので、自宅の動産執行と給与の差押えを行った。 すると被告は、「差押えを止めないと、また転職(逃亡)するしかない」と差押えの取り下げを要求してきた。 しかし、被告には税務署にも多額の滞納金があったらしく、現在、被告の給与は全て税務署に差押えられており、相変わらず私には1円も支払ってこない現状である。
お金で命は戻らない。 幸せだった家族の時間も、将来も取り戻せない。 しかし、今の司法において、医療ミスに対する唯一の処罰方法は、被告に損害賠償金を支払わせることしかできない。 ところが、この被告の渡邉忠義医師は、その最低限の償いであるはずの損害賠償金すら支払おうとしない。 しかも、心から反省もせず、謝罪もせず、最低限の償いも無視して逃亡した被告は、今もなお、人の命を扱う医療界で働き、何も知らない人達から「先生!」と呼ばれている。 これほど恐ろしいことはないと私は思う。

しかし、これは被告に限ったことではない。 非常に残念なことに、医療事故を繰り返す「リピータ医師」は日本中にたくさんいるのである。 では、このような「心」も「技術」も未熟な人間達を、このまま放置していてよいのだろうか? ある被害者遺族の方が、涙を流しながら私に言われた言葉が今も頭から離れない。 「もしあの時、私が何らかの形で声をあげていたならば、あなたの奥様の命は助かっていたかもしれません。 申し訳ありませんでした・・・」 これは、私の妻の事故の2年程前に、同じく被告の医療ミスで奥様を亡くされたご主人の言葉である。 何故、何も悪いことをしていない被害者の命が奪われただけでなく、次の被害者に対し、被害者遺族がこのような苦しい思いをしなければいけないのか? こんなことは絶対に間違っていると私は思う。

裁判なんてやりたくなかった。 でも、妻の死をこのまま闇に葬ろうとする病院や医師らが絶対に許せなかった。 何故、妻が命を落とさなければいけなかったのか、その真実が知りたかった。 だから意を決して訴訟を起こした。 しかし、人は訴訟を起こした私のことを「どうせ、お金が目的なんだろう」と言って軽蔑した。 当初、妻の事故は医療ミスの立証が難しい裁判と言われ、最初に相談した2人の弁護士からも「勝ち目がない」と断られた訴訟であった。 それに、負けたら多額の借金と、悔しさと、良からぬ噂を一生背負って生きて行かねばならない。 そのような重圧の中で、精神的にも、金銭的にも、言葉では言い表せない程、孤独で、辛く、苦しい思いをした。 そしてその結果、やっとの思いで勝訴し、妻の事故の真実を解明することができたが、事故を犯した被告は逃げ回り、反省も、謝罪も、償いもせず、何事もなかったかのように高級マンションで平然と暮らし、今でも医療界に従事している。 こんなことが許されて良いのか? 巷では、今でも「医師不足」や「医療崩壊」が叫ばれているが、「救える命も救えない」医者など私はいらない。 国は、一刻も早く「医療事故が発生した場合、公正中立な第三者機関で行う」医療事故調査委員会の設立を行い、医療技術の向上と、反省なきリピータ医師への制裁を行うべきだと私は願っている。
私の妻の裁判は終わった。 しかし、私の闘いは未だ終わっていない。 

最後に
これまで私の拙いブログをお読み頂きありがとうございました。 また、快くブログをご連載頂きました、「東京医大被害者遺族ネット」の皆様方にも、心から御礼申し上げます。

もとくんの父
(非会員)
http://www.geocities.jp/mhr3129/


再生委員会報告書のその後は?

被害者遺族ネット会員の方から寄稿いただきました。
触れられている再生委員会報告書とは、今年3月末に出された報告書です。
学校法人東京医科大学再生委員会報告書
年が明け来年3月で1年を経ることになります。
具体的成果に多くの遺族の関心が寄せられています。 

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東京医大は、再生委員会報告書に書かれている「患者中心の医療を行うには」で、「今後引き続き意見交換の場を設けて、改善に向けた話し合いを続けていく事を説明した」と書かれているが、その後一度も意見交換の場が設けられていない。もう1年が経とうとしているのに。
また、この場で調べて見ますと言った事も、調べたのか調べなかったのか、わからないが、何の結果報告もない。結果報告をしますと、約束された訳ではないが、何の結果報告もない意見交換の目的は、何であったというのだろう。被害者遺族との対話の場を設けたという、事実を作るだけの目的だったのか。

娘が八王子医療センターで亡くなってから、今月で10年が経った。
病院には、医療事故に対して、真摯に向き合う努力をする事を願っている。 
(会員寄稿) 

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