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メモリアルデー講演で厚労省を批判

東京医大メモリアルデー講演で気になる点が幾つかあった。
部内会議ならともかく、この講演会は東京医大関係者の他に一般参加者(100名)を募り、総数約400名を相手に語ったものであり、ミスリードがあってはならない。
講演者はご自分の実績を披露しながら、厚労省の医療政策検討部会(医療安全関連)などで少なからず貢献してきたと自負されていた。そうであるなら以下の発言は大勢の聴衆を前に一体何を語りたかったのか、いささか疑問を感じる。

「医療事故は国(厚労省)が責任を持つべき」的発言


「医療の価格は国が定めている、即ち制度の中心は国が握っている。因って制度上発生する医療事故の責任は国が持つべき」的発言があった。
さらに「医療費は商品のように市場価格で決められておらず、国が統制しているのが問題である」ような発言もあった。

彼は商品の市場価格が何かを理解しているのだろうか。有形であれ無形であれ、商品の市場価格は購買の是非、数ある商品の選択を消費者が自由に選べて成り立つものであって、それと医療は違うと思う。
言うまでも無く健康に異常を感じれば診察を受け治療費を払う。放置して悪化させるわけにいかないので迅速な処置を望むのは当然であり、商品の善し悪しや有用性を吟味して購入するかどうかを決める商品と根本的に異なる。
救急患者が複数病院の「合いみつ」をとる余裕など有ろうはずが筈がない。患者の立場で見れば医療は(美容整形のようなものは例外としても)殆どが「出来高払い」である。それが「闇料金」では困るのである。そこに「官」が統制し管理せざるを得ない事情があり、「皆保険」の存在理由でもあろう。診療報酬請求、医薬分業など、医療の透明性や患者への情報提供は時代の趨勢である。「官」に全く問題が無いとは言わないが、余りにも簡単に言ってのける講演者の飛躍した論理には疑問を感じる。「官」は医療事故を避けずにしっかり取り組め、というのであれば、別の言い方がある筈だ。

医療安全と「官」による価格統制の関係は一体何なのか?「制度上発生する医療事故」とは何なのか?
医療制度の向上を図るべきところに「官」が障害になるケースはあるかもしれないが、事故は事故として病院で火元を絶つ努力が第一であり、「官」が責任を持てとはどういうことなのか?
ゴミや汚水を出さないよう努力しないで、それらを隣の庭に放り投げるようなことではないと思うが、どうもよく理解できない。講演当日は「医療安全を誓う日」である筈なのだが・・・。

彼は国の統制を問題視する範囲を明確にしなかったが、医療に限らず「官」や「行」が指導して価格を決めている業界などは他にもある。公共料金、運賃、電気・ガスなど然りである。だからと言って福知山線事故を、制度上、許認可権を持つ「官」は事故の責任をとるべきとするのなら、それは具体的に何か?。或いは、原発を押し付けてきたのは国だから原発事故の責任を持て、という話なのか?その為の補償金は国が税金で出せということなのか?「制度上の責任」とは一体何なのか具体的説明も無く言葉だけが踊っていた。何を問題視しているのか伝わって来ない。

厚労省部会にも選ばれている人物なら彼は直にこの点について「官」と議論する機会もあろう。それとも行政に疎い?聴衆を前に只単にリップサービスのつもりで語ったのか?

「厚労省は頓挫した大綱案(医療事故調査)を巻き返そうとしている」的発言


この件について彼は「厚労省が進めてきた大綱案が民主政権になって頓挫させられたので、厚労省はそれが気に入らなくて巻き返しを図ろうとしている」かの如き発言をして厚労省を批判した。
まるで厚労省が面子をつぶされたのが気に入らなくてリベンジに出ようとしているかのように聞こえた。これはテクノクラートに対する不満なのか?

医療事故調査の制度化は事故被害者にとって長年の願いである。ようやく大綱案で纏まりかけてきたのが民主政権になって進まなくなったので、再び前進させるべく被害者団体が働きかけてきた結果が厚労省の理解も得るに至ったと私たちは思いたい。厚労省が意地とか面子で動き出したような印象を与える発言は看過できない。

去る6月19日、衆議院第一議員会館で各党の国会議員と日本医師会が参加して患医連主催「医療安全の推進を考えるシンポジウム」(医療版事故調の法制化)が開催され、各政党から積極的に取り組む意気込みが示された。
それにも拘らず、これでは医療弁護側が医療安全に真摯に取り組んでいるのか疑問を感じる。

医療事故調査の制度化を厚労省がどう取り組もうとしているのか近々真意を聞いてみたい。
(会員 男性)

「病院と患者が裁判になった場合、双方の代理人弁護士が目指す目標は同じ?!」

このブログを御覧になった非会員の方から「東京医大メモリアルデー」の講演に対して次のようなご意見と掲載のご了解を頂きました。ご意向を尊重し、頂いた原稿のまま掲載します。
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この人、いったい何を言っているのか私には全く分からない。

確かに私は会場にいなかったから、どのような話の流れから、そのような結論になったのかは分からないが、それにしても理解不能である。
もしかして、医療裁判とは「クレーマー患者が起こす行動」であって、代理人弁護士同士は、その「落とし所を探る」という構造とでも思っているのであろうか? 誰がこんな無恥で馬鹿げた発言をしたのか知りたいものである。

ここのブログにも記載されてあるとおり、患者側が裁判を起こす理由は、ただひとつ、「事故の真実を知りたい」からである。改めて言う、「今の医療技術において、不幸にして救命できなかった事例」だったのか、それとも「人的なミスだったのか」という真実を知りたいからである。

もし、前者であった場合、そして病院側が総て正直に情報を開示し、その内容に一点の曇りも無かった場合、患者側は誰も裁判など起こしはしない。
もし、後者であった場合、そして病院側が総て正直に情報を開示し、心から謝罪された場合、前者と同様、患者側は誰も裁判など起こしはしない。
何故ならば、何れの場合も訴訟を起こす理由がないからである。

しかし、医療過誤訴訟の数は一向に減らない。その理由は、医療事故が起こった場合、病院側が総て正直に情報を開示せず、あるいは患者側の要求を無視し、事実を隠蔽し、時には圧力をかけてくるからである。

患者側だって、医療裁判なんかしたくない。それは、医療のド素人が、地位も権力も財力も比べ物にならない程持っている医療のプロ集団を相手に、多額の費用と、長い時間と、心身ともに辛い記憶を呼び起こし、ボロボロになりながらも闘わなければならず、しかも、勝訴する確率は限りなく0%に近いからだ。

更には、医療過誤を実証するためのカルテも、証拠も、証人も、全ては医療側の手中にあり、自由に改竄できるからだ。
誰がこんな危険な賭けをしてまで訴訟を起こすと思うか?

医療側は真実を公表しない。だから患者側に残された、「真実を知る」ための唯一の方法は「訴訟」しかないのだ。 たとえそれが無謀な賭けであっても。

この明確な違いの何処が「双方の代理人弁護士が目指す目標は同じ」なのか?
明らかに理論が破綻している。

・・・、もしかして、そうか! なるほど分かった。医療過誤訴訟に限らず、訴訟を起こしてもらえば弁護士は儲かる。だから「双方の代理人弁護士が目指す目標は同じ」なのか。 だったら最初からそうはっきりと言えば良いのに。
(寄稿:非会員、被害者家族、勝訴)

予告:9月上旬まで「メモリアルデー」関連記事を順次掲載します

8月4日東京医大病院で開催された「メモリアルデー」関連記事を9月上旬まで順次掲載します。本日(22日)付けで(「東京医大・メモリアルデー」に参加して)をアップしました。

「ゲーム型弁護士?は語る」
http://www.haot.jp/?p=4656

http://www.e-kensa.org/pdf/2011-0210.pdf 

「東京医大・メモリアルデー」に参加して

8月4日の「東京医大・メモリアルデー」に参加した。昨年に続き2回目である。
私の家族の死亡事故は、東京医大・八王子医療センターで10年前に起きた。

今回、東京医大の(新任)弁護士が講演した内容の中で、私の記憶に残ったのは「自分は、ゲーム型の弁護士ではない」と言う言葉だった。
私が裁判をした時の東京医大の(旧)弁護士は、ゲーム型の典型ではないかと思われる人だった。そのひとつの例を、裁判での出来事から言うと、下記のようなものだった。

裁判で、提訴前に説明した内容を否定し、控訴審の最後で、突如、死亡診断書に書かれている病名ではなく、今まで一度も聞いたことがない病名を持ち出し、主張を変えた。今まで病名に争いはなかったのに。
判決はこの主張を「時機に遅れた攻撃防御方法」と却下しただけでなく、主張内容を検討した上で否定した。

判決(勝訴)後、病院に判決をどう思っているかを聞いたところ「裁判所がわからなかっただけで、主張に変更はない」と答えた。
病名が間違っていたと平然と言う病院に、「それでは、その病名の説明をしてほしい」と何度も言ったが、「もう裁判が終わっているので、説明する必要はない、裁判所が死亡診断書の病名だといっているのだから、それでいいではないか。だが病院としては、その病名ではなかったと思っている」と、いつも医療事故担当者に言われた。

病名が間違っていたと言われて、「はいそうですか、わかりました」と言う遺族がいるのか。説明を求めるのは当たり前ではないのか。またこの件を公の機関にも相談したが、病院に強制的に説明しろという事は出来ないと言うことだった。「裁判で嘘をつきました」と、東京医大に言わせてやると思いながらも、何も進展がない、悔しく、苦しい日々が続いた。

判決から3年が経ったとき、新聞社(全国紙)の協力があって、病院の説明を聞く機会を設けることが出来た。
その結果は、「裁判での主張は間違いだった。病名は死亡診断書のとおりです」というものでした。これもまた何の謝罪の言葉もなく、平然と説明した。嘘ではなく、間違いだったそうです。「間違え?!」信じられない言葉だった。
真実を知ろうと思って裁判をしたが、その結果は、「東京医大病院は本当に再生できるのだろうか(その5)」の、赤丸()部分に書かれている内容そのものだった。
参照↓
http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-entry-176.html


病院は、この原因は体制が悪かったと説明したが、私には病院の体質が悪かったとしか思えない。弁護士の体質で、病院が変わるわけではないと思う。弁護士は雇われているのだから。今回、自らゲーム型ではないという弁護士に代えたことは、病院の体質が少し変わったのかなと思いたい。(会員)

東京医大病院は本当に再生できるのだろうか?(その5)

平成24年8月4日東京医大メモリアルデー(後編)
当日後半、東京医大顧問弁護士の特別講義がありました。その講演内容に不可解な例え話がありましたのでご紹介いたします。

それは「病院と患者が裁判になった場合、双方の代理人弁護士が目指す目標は同じ。」 「これを“登山”に例えると、双方の代理人弁護士が同じ頂上を目指すのと同じ。」といった内容でした。
「違うだろう。いい加減なこと言うな!」と私は腹立たしく思いました。

特別講義の最後に演者が「何かご質問は有りますか?」の問いに対して挙手したい衝動を必死に堪えておりました。
それは完全アウェー状態で、私が質問することにより会場を荒らす結果となった場合、今後のメモリアルデーのあり方や、これまで弛まぬ努力をされてきた被害者遺族の会の皆様にご迷惑をお掛けすることを懸念したためです。
そこで、私の思いをお伝えする方法として、ここに投稿することにしました。

私の過去の投稿で遺族の心境を

東京医大病院は本当に再生できるのだろうか?(その1)
東京医大病院は本当に再生できるのだろうか?(その2)
東京医大病院は本当に再生できるのだろうか?(その3)
    ※(下段:アーカイブでアクセス可)

で述べたとおり、患者側が医療訴訟に持ち込む理由は 「真実を知りたい。」に尽きます。

果たして裁判をしても医療訴訟は患者側勝訴率が他訴訟事件に比べ極めて低い。
患者が亡くなった心労。
長期化する裁判の心労。
過大な裁判費用の経済的負担。

患者側は上記()の不安を抱えながら、医療訴訟という勝訴する保証も無い賭けにも似たことをしてでも「真実を知りたい。」が為、東京医大病院および病院顧問弁護士との過酷な法廷闘争に挑むことになります。
仮に、当初から東京医大病院および病院側弁護士が患者側に「真実」を知らせていれば医療訴訟は遥かに減ることはここで述べるまでもありません。

これまで患者側提訴に対し東京医大病院は
これを簡単にクレーマーと片付け。
内容を精査せず顧問弁護士に丸投げ。
病院顧問弁護士の都合の良い説明を鵜呑みにする。
  (東京医大病院は訴状や答弁書等を読んだこと有りますか?)

結果、患者を死に至らしめた他、裁判では提訴した遺族を叩きのめす。
これが今までの病院顧問弁護士の手法でした。

これらを特別講義の演者は例え話“登山”を引用しましたが、実態は違います。
患者側を登山無経験の”登山初心者”に例えるなら、他方は登山ルートを熟知した東京医大病院および病院顧問弁護士であり、登山初心者に対し、登山ルートを先回りし”登山ルート標式を隠す・曲げる””上から落石するように小細工する”などの汚い手法の数々を尽くし、登山初心者の登頂を妨害し続けるのです。

しかし、登山初心者はその様な妨害をされても一歩一歩と登り続ける以外に術は無く、それは亡くなった者の無念に報いることと、自身の疑問「真実を知りたい。」のみでただ一心に山頂を目指します。
どんな苦難が待ち受けていようとも、きっと山頂には「真実がある。」ことを信じ登るのみです。

実際の裁判では、東京医大病院および病院顧問弁護士の策は「真実の隠蔽」で始終し、これは特別講演で言っていた例え話のような、軽率な考えに基づく綺麗事ではありません。
但し、裁判を終結させる事のみをもって「頂上を目指す目標は同じ。」というのなら、その登頂に至る過程は大きな隔たりが有りますが終点は同じです。

しかし、特別講演者のように医療裁判に従事してきた弁護士であれば、法廷闘争を熟知している筈です。軽率な例え話は、参加していた医師達に誤解を生じさせる要因となる他、出席した被害者遺族の中には医療裁判を経験している者もおり過酷な医療裁判を蘇らせる結果となりました。
当日はメモリアルデーです、心ある人はこのような軽率な例え話はしないものです。

一体誰に向って講義しているのだ! 例え話にも限度がある。 
貴方もJ法律事務所のM弁護士と同類か?
同じ山頂を目指し、双方が同じ志で登頂するなら医療裁判になどならないでしょ。違いますか。
(勝訴した原告遺族・女性会員)

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〜同タイトル・アーカイブ〜
(その1)http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-entry-11.html
(その2)http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-entry-122.html
(その3)http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-entry-125.html
  (その4)http://iryoujikonet.dtiblog.com/blog-entry-175.html

東京医大病院は本当に再生できるのだろうか? (その4)

平成24年8月4日東京医大メモリアルデー(前編)
このメモリアルデーは、東京医大病院自ら過去の事故を反省し、医療事故を風化させることなく安全な医療の実現を誓う日として設け、毎年この時期に行なわれ、今年で8回目とのこと。
私の夫はこのメモリアルデー創設原因となった医療事故とは別の医療過誤が原因で亡くなって偶然にも今年で8年目になる。

同会が始まり暫くして、雛壇状の傍聴席を見渡すと爆睡中の医者の姿が目に入った。
このような状態でこの後、9回目、10回目ともなると、何の事故で講堂に集まっているか分からない医者も参加することになるのではないかと不安を感じてしまいます。

また、このメモリアルデーに参加している大勢の医師の殆どが白衣姿のため土曜午後休診を利用し総動員させられているのか?それとも自発的に参加しているのか?
参加理由がどちらでも興味は有りませんが、それより単なるセレモニーとして行なうことにならないことを願うばかりです。もう一度、メモリアルデーを設ける原因となった医療事故を思い起す必要を感じる。

ところで、大勢の医者達で略満席の状態でしたが、医療が手薄になり入院患者等は大丈夫なのだろうか? 再度事故が起き私と同じような被害者が出ないことを願っています。

※平成24年8月4日東京医大メモリアルデー(後編)は次回投稿します。
(勝訴した原告遺族・女性会員)

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